1.はじめに
私は、大人数の飲み会や催し物で開かれる立食形式のビュッフェやバイキングが大嫌いである。その理由や思いを本記事にて発散する。
2.廃棄される食べ物たち
立食形式で参加する者たちは、グラスを持って乾杯し、複数人の輪の中に入りトークを楽しむ流れが通常である。皿の上に用意された食べ物を取る参加者はしばしば見受けられるが、真剣に料理を味わいながら「美味しいね」などの会話等はなく、単に日常の会話に勤しむ姿がよく見られる。
美味しい、という会話があまり見られないのはビュッフェやバイキングの特性でもある。一斉に皿へ載せるためには原価を少しでも抑えるように「美味しく見せる」努力が必要で、一級品が皿に並べられることは上流階級ならまだしも、一般的な催し物の中ではまず無い。このように、大して美味しくもない料理たちは、グラスを持ったトークメインの参加者により大量に残されてフードロスとなっていく。
私は食べ物を残すのが大嫌いで、与えられた物は完食するのが全体であり、苦手なものは事前にフリー項目に記載するようにしてフードロスゼロを徹底している。しかし、ビュッフェやバイキングによって無惨に残される食べ物を見ると非常に悲しい気分になり、「ごめんね…」と思いを馳せて店を後にする。これに関連し、朝食バイキングも滅されて欲しいところもある。
3. 元を取らない参加者
立食形式のビュッフェやバイキングでは、参加費が5000円〜であることが多い。また、近年は物価高により更に高騰することも考えられる。その中で、参加者はグラスの飲み物を基本としたトークをメインにするだけで、支払った参加費のもとを回収しようとせずに、食べ物にも大して手をつけず店を後にする傾向が多く見られる。
元を取るという考えが無く、場を楽しむという陽キャ思考についていけないところがある。
4. 立食で疲労
私は、子供の頃より立ち食い蕎麦や立ち食い寿司の店舗を見て、「ここで食べる人らはどういう思考をしているのだ」と疑問に思ってきた部分があったが、大人になるにつれ徐々にその文化を受け入れられるようになってきた。
成人式や大人数の飲み会においては、多くの人と交流して欲しいという意味合いで幹事は広い会場かつ、立食形式の場を交流の場として手配する。そして必然的にビュッフェやバイキングへと繋がっていく。
グラスを持ちながら、トークする相手をコロコロ変え、一度も休憩せずに店を後にする参加者たち。二次会で聞く声は「やっと座れた」という言葉である。最初から座り、コロコロ変える相手は人ではなく、用意された食べ物に対し実施してほしいところ。私は、苦痛を体感しにきたのではなく、食べ物と飲み物で食事を楽しみながら、適度に交流を楽しみたいのである。
5. コミュニケーション
大人数が得意な人が世の中に多いのだろうか。個人的には日本人の特性から静かに過ごしたい人が多いと思っているが、環境の順応性であるのかグラスを持った参加者たちは重い思いに交流を楽しんでいる。輪を形成し、次々に生まれるトークネタ。どこからそのような話題が生まれるのか、私は限られた時間の中最大限にコミュニケーションを楽しむ姿を物珍しそうにいつも拝見している。
ビュッフェやバイキングがグループディスカッションの場であるならば、私はようやく死に物狂いで会話を形成する。そのような場でない場合、私はいいとものテレフォンショッキングのタモリとゲストのトークのように、限られた時間の中で1対1で、QA形式でまったりトークを真剣に楽しみたい派閥である。
6. 会場が騒がしい
私は食事中に喋るのがすごく面倒なタイプである。食べ物を口に含んでいる時に、口を開けたくないだけでなく料理に飛沫をもたらすのを最大限に懸念している。
その全体の中で、グラスをもった参加者たちは食べ物が用意されている中、ひたすらトーク&トークの連続で、会場の騒音は10兆dBに到達する。たまたま、誰かとお話しする気分になった際に軽く会話をすることが私にもあるが、大事な話をしようとした瞬間に、隣の輪のグループが「アハハハハ!」という盛り上がりを見せ、タモリである私とゲストのトークが掻き消され、私が声を張り上げてトークの続きをするという面倒な事態が生じることがある。
決して黙ってて欲しいとは言わないが、みんな盛り上がってすごい、という気持ちで会場内を見つめているところ。もはや、会場内での数少ないゲストとの会話は、ピンマイクで拾っていただきたい。
7. それでも場を乗り切る方法
付き合いや成り行きで、どうしてもビュッフェやバイキングに参加しなければならないという場面が出た場合、どのように場を乗り切るかを検討する。
まず、私は会場についた途端に、テーブルと椅子を探して全体レイアウトを把握する。テーブルはなくとも、最悪椅子さえあれば、本記事の4章で示した立食で疲労することが無くなる。
次に、乾杯が済んだら真っ先に食べ物を皿に載せ、できるだけ参加費の元を取ろうとする。そして、参加者との触れ合いは捨て、1人の時間を楽しむこと。これにより、3.5.6章で示した懸念を強引に解決させる。
実際の私の立ち回りを示した様子を以下の図に示す。
上記を実践し、直近のビュッフェ会場ではソファ席およびテーブルを確保しておひとり様ファミレス形式の場をセッティングした。しかし、2時間という時間の中、どこまでこの環境が持つか分からないところもあったため、向かい上面と左右に、椅子を用意してゲストをいつでも迎え入れられる準備をしておいた。
本施策により、私とビュッフェ会場の中で1on1していただいた方は2時間の中で5人であり、僅かな労力でビュッフェを終えることが出来た。
ゲストというところで、上から目線と捉えられる可能性もあるが、そもそもビュッフェ形式の場が地獄なだけであり、タイムリミットまでの消化試合の中で、いかに苦痛な時間を楽に過ごせるかという自衛を行っているのに過ぎない点を考慮されたい。
8. まとめ
本記事では、ビュッフェやバイキングについて以前から感じていたことを文字にして整理し、対策を検討した。文字にしてみて、人との交流は最小限に事務的に抑えたいという、踊る大捜査線の室井慎次を彷彿とさせる性格であることを実感したが人との交流は断固として拒否するのではなく、大人数が厄介なだけという点でエコに推進していきたい思いがある。
今後もビュッフェやバイキングを積極的に拒否していくところであるが、万が一同じような考えや人付き合いで悩んでいる方向けに共感をしていただければ幸いである。